最近当たり前のことをよく考えてる。
当たり前すぎて見逃していたことについて思索するのが、なんかポエトリーな気分になるので好きだ。
スピリチュアルなイキフンを楽しむ、疲れないかわりにオーガズムも無いオナニーって言うんだろうか。
もっぱら最近の思索のテーマは「死んだら終わり」ってこと。ガキくせぇ・・・
だけど、死んだらラップできないし、死んだら女の子眺めて可愛いなーとか言えないし。
何より大事な友達に会えない。
自分という存在が無くなってしまう。それってどういうことだろう。俺頭悪いから分からない。
6月の25日、渋谷であったデイイベントから帰ってきて、ひとっ風呂浴びる前にTwitterでも覗こうか・・・・とTLをスクロールしてると、LOW HIGH WHO?主宰のParanelさんのツイートが目に留まった。それはLOW HIGH WHO?ブログに投稿されたひとつの記事を知らせるツイートだった。
「【訃報】不可思議/wonderboy」
http://lowhighwho.jugem.jp/?eid=122
正直今でもウソー、マジかよー、って心の中で思ってる。
常にエネルギーに溢れた言葉たちを放っていたのに、えーなんでだよ・・・有り得ないだろ・・・って
ちょっと言い方は悪いけど、「殺しても死なないようなパワーの持ち主」だと思ってた。
だけどそれは、これからもずっとそうだと思う。
死んだら、たしかに、ひとつの終わりはあるかもしれない。
肉体の終わり。現世での活動の終わり。とでも言うのかな。
だけど、肉体は無くなってもなおかつ、生き続けるものがあると思ってる。
wonderboy氏がこの世に放った言葉たちは永遠に生き続ける。俺はそう思ってる。
ポエトリーリーディングは鳴り止まないっ!
ってこういうことなのかな。少し分かったような・・・
とにかく
今までありがとうございました。
そしてこれからもよろしくおねがいします。
貴方が遺した言葉に勇気をもらって生きていきます。
jinmenusagi
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